うちとこの運動能力開発ブログ(ジュニアテニス編)

  我が子の運動能力開発について語ります、語りたい ~Love means nothing in tennis,but it's everything in life.~

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テニスが『上手くなる』ということ(絶対評価と相対評価)

うちのチャト坊がテニスを始めて(テニスのスクールに通うようになって)、まず思ったのが「スクールで習うだけじゃなくて自主練もしないとな」ということですね。

サッカーは当たり前にそうなんですけど(サッカー以外でも当たり前にそうなのかもですが)、スクールに入れてるだけじゃ上手くはならなくて、上手くなるにはやっぱり自主練が必要です。

 

うんうんもちろん、という親御さん多いと思うんですが、今回はこの『上手くなる』ってことに焦点を当てたいと思ってまして。

 

実はここで言ってる上手くなるってのは、単純に、本当の意味で、上手くなる(つまりその競技において過去の自分より上手くなる)ではないんですね。

皆はっきりと意識してないまでも、「最近めっちゃ上手くなって」とか「うちの子全然うまくならなくて」みたいのって「他の子(周りの子)よりも」というのが暗黙の了解的にド頭にくっついているんです。

※ちなみにここでは上手くなるってのを技術が上がるとかフィジカルが上がるとか全部を一緒くたにしての結果、としています。なので以下「上手くなる」はそんなイメージで読んでもらえれば。

 

どんなお子さんでもやったらやっただけ上手くはなるんですよ。
言ったら何もしなくても年齢あがるだけで上手くはなります。
僕、テニスやったことないんですけど、9歳の自分よりも上手い自信ありますもん。

めちゃ上手い9歳の子とテニスしたら負けるかもですが、9歳の自分とテニスしたらさすがに負けないです。
※15の自分には負けるかもですが…w でも15の自分とかアホなんで勝てる気もする。

 

だから本当は「スクールに入れてるだけで必ずうまくなる」が正解なんです。
ただ、スクールにいる他の子も同じ時間だけやってるわけで、それだけじゃなかなか差がつかない。だから上手くなってないと感じる、とそういうことなんですよね。

つまり絶対的評価として上手くなる、ではなくて、同じ学年、同じ世代、それぞれ地域が広がればそれだけ大変になってくるんですが、それを対象とした分母の中で「相対的に上手くなる」というのを無意識に我々は「上手くなる」と言っている(言ってしまっている)んです。

 

だって、たとえば足の速さでいえば、普通に7歳よりも15歳の方が速く走れるじゃないですか。
でも7歳では学年トップだったのに15歳のときに学年ビリだったら、それを足速くなったなとは言わないですよね。(記録的には速くなってるとしてもですよ)

※学年上がったのに記録が落ちた子の話はこちら↓

undoshinkeikaihatu.hatenablog.com

 

これはですね、別にそれが悪いと言ってるわけじゃないです。スポーツのような勝ち負けを争う競技であればそれが当たり前ではある、ということはわかるんです。

小さな頃から他人よりも秀でることが目的となっても不思議ではないというか。結果それが勝負に勝つにつながっていくというか。

 

ただ、例えばピアノだったらどうだろう、絵画だったらどうだろうと考えたら、1年前より上手くなってたら単純に上手くなったねってなりますよね。
(それらも他人に目を向け勝ち負けを意識した途端、競争にはなるんですが…。)

 

何が言いたいのかというと…。

うちの子全然上達しないな、と思う時っていっぱいあると思いますし、それって親にとってははっきりと苦しいんですよね。でも気持ちをちょっと切り替えて、「他人と比べているからそう思うだけであって、この子だけをみれば上達してるわけだから」と思えばちょっとはやさしい気持ちになれるかなと、そう自戒を込めて記事にしたって感じです…。

 

それでもやっぱり他の子よりも上手くなって欲しいというのが親心なんですけど、
「全然上手くなってない」というのは間違いで、その子はその子のペースで上手くはなっているんですよ、と、ね。思ったりするわけです。

とはいえやっぱり他の子よりも上手くなって欲しいんですけどねw出来たらぶっちぎりでw